Sunday, 17 May 2009

Carrot


青々とした葉付きの、泥付きの、濃いだいだい色のプリプリにんじん。毎度毎度、生で食べたり、スープにしたり、炒めたり。葉っぱも刻んで適宜。塩加減とか火加減とか、むずかしいねー。素材のよさに救われるけど。

「毎日の食事のように仕事をしよう。ことさら求めずに手近な、容易に手に入る材料で料理して食べよう。少なくとも、日にその土地に生産される材料でほぼ料理も決まる。あまり同じものでも退屈になるので、時には土地にないものを無理して食べるが、これは本来でない。実際、人生が退屈なものであるように、何もかもが退屈なのだ。しかし、その退屈な食事にでも、その時々に期待をかけるのが人間の本能である。絵をつくる仕事も同じようなものである。うまい料理の食事をしたかったならば、材料はほとんど限られているのだから、料理の方法を工夫しなければならぬ。ものは調和によって美しくもなり、美味にもなる。料理人よ、腕を磨け。舌を常に清潔にしておけ。」(香月泰男)

|

Friday, 15 May 2009

Eel_and_scotch_3


うふふー。銀座でうなぎをゴチになった。楽しかったなー。白焼きも蒲焼きもうましー。九州の蒲焼きとはぜんぜん違う。あっさりふんわり。エビスの瓶ビールもおいしいね。料理屋さんで差し向かいで瓶ビール。大人だわ(?)。その後のバーカウンターもよかったな。スコッチってやっぱ最高。

私は腹を割って話すのが好き。無防備だけど、この人とは話せると思えばすぐ割る。ドンドン話して、自分がゆがんでるとことかも話して、風通しよくして、ゆがみも風で吹き飛ぶか?
いつも風がビュンビュン。誘ってくれたすばらしき大先達に感謝。

「生きることも捨て身でかからなければならぬ。愛することも捨て身でかからねばならぬ。芸術を生むことも。恋人を愛することも。(香月泰男)」


|

Saturday, 09 May 2009

Matthew

もっともっと、繊維の表情を、染液の染まりたい方向を、糸の重なりのふっくら加減を、使って下さる方のお気持ちを、しっかり受け止め、真摯に取り組まないと、海に沈むぞ。<私。ぶくぶくぶく、、、

「この小さき者の一人をつまずかするものは、むしろ大いなるひき臼を首にかけられ、海の深処に沈められんかた益なり」(マタイ伝)

|

Saturday, 28 February 2009

染織は農業だって言ったのは、どなただったか?石垣島の大先達か?畑で麻や芭蕉を育て、山や野で染料を採り、糸を作り、染める。
私はそれを聞いて、深くうなづき、同時に羨望の思いも持った。私は畑や野や山で作業しないから。都会のアパートの中で、すべてを完結させる。

でも、今、着物を織っていて、ああ、農業だなって思い当たった。
農業は普通、年に一回か二回しか挑戦できない。米を作って10年の人は、10回か20回の経験しかないのだ。だから、一回一回が賭けであり、全エネルギーを注ぎ込む真剣勝負だ。ひとつ間違うと、一年か半年を棒に振る。

着物は、私のような作り方をすると、どんなにがんばっても年に10反だ。と言うことは、10毛作ってことだ。ひとつのチャレンジの結果は一ヶ月後、またはそれを御召しいただいた時って思うと数カ月後。それまで分からない。実はその期間、とても辛い。怖い。それでもマイナーチェンジはし続ける。もっと真のものを求めて。

でさ、私思ったんだけど、農業も人知を尽くして発展させてきただろうけど、おおらかにゆだねる部分もあると思うんだよね。そこんとこ、私もやりたい。小さな無力の私がすべてを出し切って、やり切って、後はゆだねる。そこは操作できないんだ。操作できない部分があるからこそ、謙虚になれる。

|

Monday, 17 November 2008

新しいパソコン、おかげさまでちょっと分かってきた。構造はまだまだ。キーボードはまあまあ。で、指ならし。長文引用します。

「創造活動。
初めは島国だ。
それからある緊張がくる。緊張が大きくなる。終わらぬ緊張。生まれかけた、膨張の必然性。
最初の問題は、膨張のための土地がどこに見いだせるか、ということだ。(紙、石、粘土、画布、舞台。)
その土地を発見すること、ある生命の、未解決のある別の生命の、即座に完成しなければならないある新しい生命、以前はそこになかったある生命の、運動のための土地を。

発見された土地、移住活動がやってくる。

紛糾させるためではない。純化の探求によってでも、堕落の探求によってですらなく、本質的な移住によってだ。ただ一つの、唯一の必要な活動。
真にそれに興味を持つことができるために、現実化された生命のために。創造者は、写し取る人間ではない、彼は他の人々に先んじて見た者、身動きできなくなったものを動かし受け入れられない状況を打ちこわす方法を、発見するものだ。落伍者でさえ決して落伍者ではない、満足している近視の人たちの間では。おのれの状況を解放することで、彼は、沢山の他の状況を、時代の、あるいはまだ現れ始めたばかりの時代の、さまざまの状況を、解放する。
芸術家は未来の人間だ。それ故、彼は先導する。
いつも彼の後方を見ること、それはある動くものを方向を間違えながら理解することだ!」

噴出するもの湧出するもの(アンリ・ミショー)

|

Sunday, 14 September 2008

Hermann_hesse


満月、見えた!まんまる!なんか幸せ。

唐突ですが引用。ヘルマン・ヘッセ。
「さぐり求めると、その人の目がさぐり求めるものだけを見る、ということになりやすい。また、その人は常にさぐり求めたものだけを考え、ひとつの目標を持ち、目標に取り付かれているので、何ものをも見いだすことができず、何ものをも心の中に受け入れることができない、ということになりやすい。さぐり求めるとは、目標を持つことである。これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。」


…━━☆展示会開催中です。ぜひお運びください。…━━☆☆☆
「美しく透ける」 毛利夏絵(ガラス)・吉田美保子(染織布)
9月1日(月)~9月20日(土) 11:30~17:00 明日は祝日ですがオープンしてます!ぜひ!
於 ギャラリーDADAKO 東京都大田区南馬込4-12-8 tel 03-3774-6822

地図はここ。DM、お持ちの方、案内図にある、「100円パーキング」、なくなってます。ますます分かりづらい!どうかお気をつけてお出掛けください。

|

Wednesday, 30 May 2007

分けると分かるは同じで、分けることが出来た時が分かったなんだって話を膝を打ちながら聞いていて、よくアートが分かるとか言うなあって思ってた。ビンビンくるような分岐点の向こう側に存在するアートは、他とは違うんだ。分岐点はそれぞれかもしれないけど、決して好き嫌いじゃない。テイストと本質は違う。それこそ、きちんと分けて分かろう。

| | TrackBack (0)

Tuesday, 01 May 2007

わっ!5月1日だ!some origin の独立記念日です。糸を染めて布を織ることを仕事にして、満4年になりました。おかげさまでどうにかやってます。私の周りの全ての事象に深く感謝いたします。
私にとって、生きることと創ることと稼ぐことはイコールだと、最近とみに思います。ならばいっそう、より真摯に豊かに自然にやって行きたい。織った布が、どなたかに渡り、その方の生き方をちょっと変える。そんな布を織り続けたいと思います。

| | TrackBack (0)

Sunday, 02 July 2006

いいものを織るということは、「経験」とか「年数」とか「慣れ」ではないと思っている。それは、重々承知の上で、やはり、「織機の前にどれだけ座ったか」は大事だと思う。澄んだ、クリアした状態で、全てを機能させて、どれだけ関わったか。

| | TrackBack (0)

Wednesday, 17 May 2006

今織ってる帯の緯糸は、ロッグウッドで染めた紫紺と矢車で染めた銀色グレー。 綛でみると結構主張が強いが、巻くと、それが溶ける。 織るとまた出てきて、最適な経糸と交じり合って、しっくりと凝固する。 それはやがて、織り上がり、湯をくぐり、湯気をあてられ、仕立てられ、誰かに着られる。 その誰かに着られたときに、昇華するよう。

| | TrackBack (0)

Wednesday, 10 May 2006

それを研ぎ澄ますこと。不純物、取り去って。透過させるために。何も考えなくていい。ただ聞く。まっすぐ聞く。受け取るだけでいいし、出すだけでいい。

| | TrackBack (0)

Wednesday, 15 March 2006

私は仕事ばっかしてるから、仕事バカに思われがちだけど、そんなことはないよ。確かに本を読むのも、散歩するのも仕事に結びつけるけど。ひとつと本当につながれれば、ほかの全てとつながれる。そう思ってやってる。まだまだだけど。

| | TrackBack (0)

Monday, 30 January 2006

昨日は、モオツァルトの誕生日だったんだってね。
そういえば、ずっと以前に、小林秀雄が彼について書いた本のこと、教えてくれた人がいた。メールで、引用してくれた。過去ログ探してみると、6 Apr 2002。おーい、独立前ですよぉー。あの時分の私は今の1000倍、ふわふわしてた。そんな私に、よくこんな文章を、、、、
今、ちょこっとわかりはじめました。改めまして、ありがとうございます。

「自由な創造、ただそんな風に見えるだけだ。制約も障碍も無い処で、精神はどうしてその力を試す機会を掴むか。何処にも困難が無ければ、当然進んで困難を発明する必要を覚えるだろう。それが凡才には適わぬ。
抵抗物のないところに創造という行為は無い。芸術に於ける形式の必然性の意味でもある。」

| | TrackBack (0)

Thursday, 20 October 2005

お気軽、お手軽に落ち込まないこと。そんな暇はないでしょ。

以前もらったメールから、引用抜粋要約。
「事実をよく見ないで反省する人の反省は、本物でありうるんだろうか。事実をしっかり見つめて、因果関係も分かって、反省するのは恐らく本物だろうが、情緒的な反省は、情緒的な自己主張につながるのではないか。」

| | TrackBack (0)

Wednesday, 14 September 2005

今取り組んでる着尺、調子が出てきた。対流圏を抜け出して、成層圏で安定飛行を始めた感じ。リズムもスピードも出てきた。
何回も言い聞かせるけど(自分に)、リズムやスピードが大事なんじゃなく、ベストなものを作ることが大事。それがかなえば、同時にかなう。
そのためにすべてをピンポイントで押さえる。ストライクゾーンは、ただ一点。

| | TrackBack (0)

Saturday, 03 September 2005

色とか形とか、仕上げ方とか、そんなことは二次的なことで、求むるべきは、そこに届いたものであること。届かせるために、なんでもする。最善をつくす。
そのために、色や形や、仕上げ方が重要になってくる。

| | TrackBack (0)

Monday, 24 January 2005

頼んでおいた大きな鏡が届いた。早速場所を確保し据えつける。ホッと一息、椅子に座った我が身が映る。ふむむ。どこかで見たよな構図だな。おお!これだ!きゃ、私ったらベーコンみたい。鏡に映る自分にうっとり(?)。
「本能の近くで創れ」と彼(=ベーコン<母)は言ってた。一歩近づけたかと思うと百歩先にワープされてしまう。ちょっと引用しちゃおうかな。
「画家は感覚のバルブを開け放って、あるいはこう言った方がいいかな、感覚のバルブの鍵を開けて、見るものをして生命というものにさらに激烈に突き返すんだよ」

| | TrackBack (0)

Sunday, 23 January 2005

マティスでもクレーでも偉大な作品は、誰に見られても、印刷されても、批評家が勝手なこといってもそれ自体はどこ吹く風でちっとも変化しない。不変である。しかしこっちは何かが変わる。ときどきだけど、心の中で「カチリ」と音がして歯車が回ることがある。それが「観た」ってことかなあ。

| | TrackBack (0)

Wednesday, 12 January 2005

そういえば私は昔から「がっぷり四つで組み合う」ことは苦手だった。自分の真意を伝えることは初めから無理だと思ってしなかった。「何考えてるのかわからない」ってよく言われた。
はたと気づいたがそれでは作品は作れない。自分と素材、自分とテーマ、自分と世界。全開にオープンにして体すべてで投げかけなければ答えは戻ってこない。過去の「苦手」とはオサラバなのだ。早いこと一度全部脱いじゃってお風呂に入って温まって、いい匂いの石鹸でゴシゴシ洗い流そう。

| | TrackBack (0)

Tuesday, 11 January 2005

camera-eye
ああ、そうか。きちんと向かい合うことなんだ。何に対しても。それが糸でも染料でも、人間でも猫でも、環境でも先達が残してくれた尊敬すべきアートでも。がっぷり四つで組み合う。頭で考えるんじゃなくて五感で反応する。判断する。そういうことかなあ。
写真は今織っている帯で、インスピレーションの源はクレーです。彼ともきちんと向き合おう。

| | TrackBack (0)

Monday, 27 December 2004

電話を取ったら懐かしい声が聞こえてきた。9年前に大分の日田で織りを修行させていただいた染織家、高野久仁子さんだった。9年前、私は本当にどうしようも無いほどガキンチョで世間知らずの困ったチャンだった。小さなきっかけの不思議な縁で、3ヶ月だけ日田の山奥の彼女の家の向かいの空き家に転がり込んで一対一の時を過ごした。一人の自立した大人として生きること、それを教えてくださった。なんて美しいんだろう。その感動が今も私を支えてる。
さてと、襟を正して、今の自分の大人具合を、仕事具合を切り取って眺めてみる。ワインの瓶をかざしてる感じ。
原点と現在、指標が高いことは幸せだ。まだまだヌーボーだけどね。

| | TrackBack (0)

Tuesday, 09 November 2004

マティスを観てきた。硬直してしまうほどすごかった。エネルギーがビンビン放出されている。線の運びが、色のタッチが、ブロンズのかたまりが、それぞれに究極。ここまで突き詰めるものなのか。
追い出されるまで観ていたが、外に出てもすぐにはリセットできず、不忍池の周りをぐるっと歩いた。光から闇へワープしたようで、帰ってきてもいまだリセットできていない。

| | TrackBack (1)

Saturday, 25 September 2004

昨日観た染の展示について考えていたのだが、やはりあの澄んだ美しさの原点は「壊した」ことに由来するのではなかろうか。すべての既存を壊したあとのサラの状態から構築していくから、にごりのない品格が宿るのではなかろうか。アートとはそういうものか。中途半端で終わらないために、私も壊そう。大きな存在は私にそう教えてくれる。

| | TrackBack (0)

Friday, 24 September 2004

銀座に染の展示を観に行った。
すばらしい作家の個展の初日とあって、ひきもきらないお客さんと対応するお店の方で、会場はとても賑やかだったが、不思議なことに作品の前に立つと無音になる。すーっと引き込まれる。作品とそれに対峙する自分。孤独なのだが温かい。ああこれがアートというものなのか。
仁平幸春展」 会場:銀座もとじ 9/30(木)まで

| | TrackBack (0)

Monday, 30 August 2004

ニフティのブログガイドのページに紹介されたので(びっくり!)、そちらからいらっしゃった方もおいでかと思います。そんな方の中には、「染織って何?」って方もいらっしゃるでしょう。ですから今日はちょっと染織の話。
私にとっての「someori」とは、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を出会わせて一枚の布をつくることです。「この経には、この緯しかありえない!」って出会いを作ってやることです。線で点をつくって面にする。たとえば、ほんの小さなマフラーだって、もし経糸が200本、緯糸の密度が5本/cm、長さが1mだとしたら、100,000の出会いがあります。その10万の点すべてに意識がいきわたっていたら最高!着物だったら2640万の出会いです。めまいがします。道は遠し。
ちなみにブログガイドに、染織家の穏やかな生活って紹介されてますが、それは美しい(?)誤解です。実状は七転八倒、決壊寸前。でももし、私のブログから穏やかな何かを感じていただければ、とても嬉しいです。よかったらまた訪ねてください。

|

Sunday, 22 August 2004

今日、碑文谷にあるうつわのギャラリー、宙(SORA)に行ってきた。宙さんには、私の作品を扱っていただいているのだが、扉を開けると、自作がドンと目に飛び込んできた。恥ずかしいやら誇らしいやら。静かな凛とした空間で素敵な陶やガラスや木の作品に囲まれ、「布として」堂々と存在しているか。がんばれよと心の中でつぶやいた。

|

Tuesday, 03 August 2004

織をはじめ工芸といわれる分野のアートには、さまざまな制約があります。使用に耐えねばならないし、何より使われてこその美しさを追求せねば、、、過去のもので「いい」とされているものにはみなそれがあるように思います。今のものもいいんだぞ!と言えるようなものを作りたいと思ってます。

|

Sunday, 01 August 2004

some origin, 染と織をやっているからこの名前です。
糸を染めて布を織る、たったそれだけのことで、何かを作りだそうとしています。

ブログの場で次々生み出している作品を紹介できればと思いました。
八朔の本日、お日柄もいいし、、、どうかよろしくお願いします。

| | TrackBack (0)