Wednesday, March 15, 2006

私は仕事ばっかしてるから、仕事バカに思われがちだけど、そんなことはないよ。確かに本を読むのも、散歩するのも仕事に結びつけるけど。ひとつと本当につながれれば、ほかの全てとつながれる。そう思ってやってる。まだまだだけど。

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Monday, January 30, 2006

昨日は、モオツァルトの誕生日だったんだってね。
そういえば、ずっと以前に、小林秀雄が彼について書いた本のこと、教えてくれた人がいた。メールで、引用してくれた。過去ログ探してみると、6 Apr 2002。おーい、独立前ですよぉー。あの時分の私は今の1000倍、ふわふわしてた。そんな私に、よくこんな文章を、、、、
今、ちょこっとわかりはじめました。改めまして、ありがとうございます。

「自由な創造、ただそんな風に見えるだけだ。制約も障碍も無い処で、精神はどうしてその力を試す機会を掴むか。何処にも困難が無ければ、当然進んで困難を発明する必要を覚えるだろう。それが凡才には適わぬ。
抵抗物のないところに創造という行為は無い。芸術に於ける形式の必然性の意味でもある。」

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Thursday, October 20, 2005

お気軽、お手軽に落ち込まないこと。そんな暇はないでしょ。

以前もらったメールから、引用抜粋要約。
「事実をよく見ないで反省する人の反省は、本物でありうるんだろうか。事実をしっかり見つめて、因果関係も分かって、反省するのは恐らく本物だろうが、情緒的な反省は、情緒的な自己主張につながるのではないか。」

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Wednesday, September 14, 2005

今取り組んでる着尺、調子が出てきた。対流圏を抜け出して、成層圏で安定飛行を始めた感じ。リズムもスピードも出てきた。
何回も言い聞かせるけど(自分に)、リズムやスピードが大事なんじゃなく、ベストなものを作ることが大事。それがかなえば、同時にかなう。
そのためにすべてをピンポイントで押さえる。ストライクゾーンは、ただ一点。

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Saturday, September 03, 2005

色とか形とか、仕上げ方とか、そんなことは二次的なことで、求むるべきは、そこに届いたものであること。届かせるために、なんでもする。最善をつくす。
そのために、色や形や、仕上げ方が重要になってくる。

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Monday, January 24, 2005

頼んでおいた大きな鏡が届いた。早速場所を確保し据えつける。ホッと一息、椅子に座った我が身が映る。ふむむ。どこかで見たよな構図だな。おお!これだ!きゃ、私ったらベーコンみたい。鏡に映る自分にうっとり(?)。
「本能の近くで創れ」と彼(=ベーコン<母)は言ってた。一歩近づけたかと思うと百歩先にワープされてしまう。ちょっと引用しちゃおうかな。
「画家は感覚のバルブを開け放って、あるいはこう言った方がいいかな、感覚のバルブの鍵を開けて、見るものをして生命というものにさらに激烈に突き返すんだよ」

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Sunday, January 23, 2005

マティスでもクレーでも偉大な作品は、誰に見られても、印刷されても、批評家が勝手なこといってもそれ自体はどこ吹く風でちっとも変化しない。不変である。しかしこっちは何かが変わる。ときどきだけど、心の中で「カチリ」と音がして歯車が回ることがある。それが「観た」ってことかなあ。

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Wednesday, January 12, 2005

そういえば私は昔から「がっぷり四つで組み合う」ことは苦手だった。自分の真意を伝えることは初めから無理だと思ってしなかった。「何考えてるのかわからない」ってよく言われた。
はたと気づいたがそれでは作品は作れない。自分と素材、自分とテーマ、自分と世界。全開にオープンにして体すべてで投げかけなければ答えは戻ってこない。過去の「苦手」とはオサラバなのだ。早いこと一度全部脱いじゃってお風呂に入って温まって、いい匂いの石鹸でゴシゴシ洗い流そう。

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Tuesday, January 11, 2005

camera-eye
ああ、そうか。きちんと向かい合うことなんだ。何に対しても。それが糸でも染料でも、人間でも猫でも、環境でも先達が残してくれた尊敬すべきアートでも。がっぷり四つで組み合う。頭で考えるんじゃなくて五感で反応する。判断する。そういうことかなあ。
写真は今織っている帯で、インスピレーションの源はクレーです。彼ともきちんと向き合おう。

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Monday, December 27, 2004

電話を取ったら懐かしい声が聞こえてきた。9年前に大分の日田で織りを修行させていただいた染織家、高野久仁子さんだった。9年前、私は本当にどうしようも無いほどガキンチョで世間知らずの困ったチャンだった。小さなきっかけの不思議な縁で、3ヶ月だけ日田の山奥の彼女の家の向かいの空き家に転がり込んで一対一の時を過ごした。一人の自立した大人として生きること、それを教えてくださった。なんて美しいんだろう。その感動が今も私を支えてる。
さてと、襟を正して、今の自分の大人具合を、仕事具合を切り取って眺めてみる。ワインの瓶をかざしてる感じ。
原点と現在、指標が高いことは幸せだ。まだまだヌーボーだけどね。

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Tuesday, November 09, 2004

マティスを観てきた。硬直してしまうほどすごかった。エネルギーがビンビン放出されている。線の運びが、色のタッチが、ブロンズのかたまりが、それぞれに究極。ここまで突き詰めるものなのか。
追い出されるまで観ていたが、外に出てもすぐにはリセットできず、不忍池の周りをぐるっと歩いた。光から闇へワープしたようで、帰ってきてもいまだリセットできていない。

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Saturday, September 25, 2004

昨日観た染の展示について考えていたのだが、やはりあの澄んだ美しさの原点は「壊した」ことに由来するのではなかろうか。すべての既存を壊したあとのサラの状態から構築していくから、にごりのない品格が宿るのではなかろうか。アートとはそういうものか。中途半端で終わらないために、私も壊そう。大きな存在は私にそう教えてくれる。

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Friday, September 24, 2004

銀座に染の展示を観に行った。
すばらしい作家の個展の初日とあって、ひきもきらないお客さんと対応するお店の方で、会場はとても賑やかだったが、不思議なことに作品の前に立つと無音になる。すーっと引き込まれる。作品とそれに対峙する自分。孤独なのだが温かい。ああこれがアートというものなのか。
仁平幸春展」 会場:銀座もとじ 9/30(木)まで

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Monday, August 30, 2004

ニフティのブログガイドのページに紹介されたので(びっくり!)、そちらからいらっしゃった方もおいでかと思います。そんな方の中には、「染織って何?」って方もいらっしゃるでしょう。ですから今日はちょっと染織の話。
私にとっての「someori」とは、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を出会わせて一枚の布をつくることです。「この経には、この緯しかありえない!」って出会いを作ってやることです。線で点をつくって面にする。たとえば、ほんの小さなマフラーだって、もし経糸が200本、緯糸の密度が5本/cm、長さが1mだとしたら、100,000の出会いがあります。その10万の点すべてに意識がいきわたっていたら最高!着物だったら2640万の出会いです。めまいがします。道は遠し。
ちなみにブログガイドに、染織家の穏やかな生活って紹介されてますが、それは美しい(?)誤解です。実状は七転八倒、決壊寸前。でももし、私のブログから穏やかな何かを感じていただければ、とても嬉しいです。よかったらまた訪ねてください。

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Sunday, August 22, 2004

今日、碑文谷にあるうつわのギャラリー、宙(SORA)に行ってきた。宙さんには、私の作品を扱っていただいているのだが、扉を開けると、自作がドンと目に飛び込んできた。恥ずかしいやら誇らしいやら。静かな凛とした空間で素敵な陶やガラスや木の作品に囲まれ、「布として」堂々と存在しているか。がんばれよと心の中でつぶやいた。

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Tuesday, August 03, 2004

織をはじめ工芸といわれる分野のアートには、さまざまな制約があります。使用に耐えねばならないし、何より使われてこその美しさを追求せねば、、、過去のもので「いい」とされているものにはみなそれがあるように思います。今のものもいいんだぞ!と言えるようなものを作りたいと思ってます。

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Sunday, August 01, 2004

some origin, 染と織をやっているからこの名前です。
糸を染めて布を織る、たったそれだけのことで、何かを作りだそうとしています。

ブログの場で次々生み出している作品を紹介できればと思いました。
八朔の本日、お日柄もいいし、、、どうかよろしくお願いします。

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